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言葉の消滅と変容は別にいいんじゃないか

言葉というものはとんでもないスピードで消滅しています。

 

今現在は7000語ほどの言語が世界中にはあります。

そのうち4分の1が絶滅の危機にあり、3500の言語は使い手の数が1万人以下に減っています。

そして現存する7000言語のうち半分が今世紀中に絶滅すると、多くの言語学者が指摘しています。

また100年以内に90%が消えるという説もあります。

日本のアイヌ語や、チリのヤガン語など世界で100ほどの言語は、

現状で少数の使い手しか残っておらず、危機的状況にあると言われています、、、

 

ざっと今の現状・今後の予測を述べましたが、

別にみなさんに危機感などは当然ないですよね。

 

今の日本でも若者言葉などによって美しい日本語が消えつつあると老人たちは憂いています。

しかし、

私は言語の消滅危機、そして日本語の変容に対し、特にNOとは言いません。

 

なぜか、

それは言語というものは使われるたびに、時代を重ねるごとに変容していき、

言葉の表現の種類も減少していくと思うのです。

 

つまり、より簡単になっていくと言えます。

 

歴史上では、ラテン語が英語と変容しました。

 

英語へと変容した結果どうなったでしょうか、、、

 

そうです、世界中の人々に使用される最強の言語と化したのです。

 

日本語もやがてより誰でも使用しやすい言語へと変容し、言語話者数も増えていくと私は思います。

 

この意見に対し反対の方は多いと思います(特に40代以上の方々)

 

「美しい日本語の表現が、、、」

「日本語は独特性があるからこそ良いのではないか、、、」

などという文句が聞こえてきます。

 

それはもちろん理解できます。

僕も日本語の独特性というものは失って欲しくはないです。

でも、話す人が誰もいなくなるほどの独特性は、「言語」というものには必要ございません。

 

言葉というのは、人と繋がるためにあるので、

人と繋がれない言語は必要ないとさえ私は思います。

 

※ちなみに私は日本語大好きです。

例えば、雨の降りかたにも「じゃーじゃー」や「ポツポツ」など様々な美しい表現の擬音語があります。

これもおそらく平安時代にはより高貴?と言える表現があったのですが、

こんな簡単な表現に変わったのでしょう。

 

この変容も美しいです、日本語大好きです。

 

結論を言いますと、

言語の変容を嘆いている人は「言語」というものを理解しているのだろうか。

おそらくそういった人たちは、「言語」を「芸術」のように考えているのではないのか。

言語はあくまで「言語」で人に「使用」されるべきものである。

 

平安時代の言葉遊びなどを考慮すると、

日本人は日本語を芸術化させたい種族なのかなと思います。

 

それは国民性でしょう。

でも私は言語を消滅させないために、日本語を消さないために、

日本語の「言語面」に注目して欲しいのです。