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【書評・要約】「貨幣論」から学ぶ貨幣とは

【書評・要約】「貨幣論」から学ぶ貨幣とは

こんにちは、
戦略コンサルタントのシータです。

今日は、岩井克人著「貨幣論」から学ぶ「貨幣とは」という問いに関して述べていきます。

 

「貨幣論」書評

「貨幣論」では、お金は何でお金なんだ?という答えづらい質問に明確に答えを出してくれています。
貨幣にもし本質があるとすれば、逆説的であるが、「貨幣には本質がないこと」という主張は
マルクスの「資本論」をなぞりながらその限界を示しつつ自身の主張を強調させていることからスムーズに受け取れた。
そして、「貨幣とは何か」という問いを巡る考察を経て、資本主義にとって何が真の危機であるかを明確にした書物です。

 

「貨幣論」要約

貨幣が商品世界の存立を維持し、商品世界の存立構造が貨幣を必然化する。この循環論法に労働・欲望・契約は不要で、金属片や紙切れでも構わない貨幣は存在や生成の根拠がない「奇跡」である。人が紙切れを商品と交換するのは、いつか他の人が同様にする期待があるからで、この期待がある限り、貨幣を媒体に商品世界が維持される。恐慌論者は商品を貨幣に交換する「売る」困難を懸念したが、恐慌が激しく不況が長くとも人々は貨幣共同体の永久的存続を信じている。しかし、ハイパーインフレーションは貨幣を商品に交換する「買う」困難が生じる。商品を売らずに持ち続ける「異邦人」が期待を裏切り、貨幣価値への信頼を全面的に揺るがし商品世界は崩壊してしまう。よって、人々が貨幣に興味を示さなくなることこそ、資本主義社会の真の危機である。

 

 

「貨幣論」章ごとの要約

 

序章

「価値形態論」の中に、資本主義社会の危機=全般的な過剰生産による恐慌、
というマルクス自身の等式を無効にしてしまうより根源的な思考の可能性が秘められていることを示す。
「貨幣の謎」を解き明かす。

 

第1章 価値形態論

●価値の「実体」と「形態」
・価値の「実体」は労働
・価値の「形態」か交換価値

古典派主義は価値の「実体」のみに注目し価値の「形態」を全くどうでも良いものと見ていた。
→その点をマルクスは批判している。

第1の命題と第2の命題の逆説性
第1の命題・・・「労働価値論」の自明性を信じ抜いたからこそ「価値形態論」を展開し得た。
第2に命題・・・「価値形態論」が「労働価値論」そのものを転覆させてしまう論理構造を生み出す。

マルクスにとっての貨幣という神秘・・・金銀という商品が、モノとしての自然の形のままで、他の全ての商品に対する一般適当価値という機能を果たしているということの神秘。神秘は、金銀を貨幣という社会的な存在に仕立て上げる商品世界の存立構造そのものにある。

貨幣とは、全体的な相対的価値形態と一般的な等価形態という2つの役割を商品世界の中で同時に演じている、いや演じられている存在である。

キーとなるのは循環論法

貨幣という存在は、「循環論法」のなかを生き抜く存在となる。

他の全ての商品から直接交換可能性を与えられることで、他の全ての商品に直接交換可能性を与えている。
自らの存在根拠を自らで作り上げている。
→その生産のための人間労働をはじめとする外部的な根拠を一切必要としない
→マルクスの「労働価値論」を否定してしまう

貨幣という存在はその商品としての価値が希薄になればなるほど貨幣としての純粋性を増していく。

いわばものの数にも入らないモノである貨幣が、世にある全ての商品と交換可能であることによって価値を持つことになる。
つまり、ものの数に入らないモノが、貨幣として流通することで、モノを超える価値を持ってしまう。
ここに、「神秘」がある。

 

第2章 交換過程論

人間の登場は、価値の体系としての商品世界を単なるモノの寄せ集めに転覆させてしまう。

モノとしての寄せ集めがどのようにして価値体系としての商品世界へと転化していくのか、
つまり商品世界の生成という物語を語るのが、「交換過程論」の課題。

交換過程論=貨幣の創世記を語るに等しい(商品世界を商品世界として成立させている貨幣なるものが一体どのようにして現実に存在しているのか)

貨幣論の2つの相反する主張
・貨幣商品説・・・貨幣とはそれ自体が価値を持つ商品を起源とし、人々の間の交換活動の中から自然発生的に一般的な等価値あるいは一般的な交換手段へと転化したという主張
・貨幣法制説・・・貨幣とはそれ自体が商品としての価値を持つ必要がなく、共同体の申し合わせや皇帝や君主の勅令や市民の社会的契約や国家の立法にその起源を求めることができる説

→どちらも貨幣というものの現実的な存在に対して何らかの実体的な根拠を求めていることにおいて同罪である。
貨幣という存在は、自らの存在を自らで作り出している存在である。

マルクスは、「貨幣」とは交換過程の中で本能的に形成される存在だと言っている。
つまり、ある一つの商品がもっとも全体的な欲望の対象であるというその本来の性質によって、交換過程の内部において自然発生的に貨幣として転化していく。

中身が空虚な「貨幣」が循環論法によって貨幣として流通している。
そして、商品世界を商品世界として成立させる貨幣が「ある」ということが神秘である。

今後、貨幣が「ある」世界に置ける交換の「困難」がどのようなものであるかを明らかにすることが最終目標。

 

第3章 貨幣系譜論

金の「代わり」でしかないはずの鋳貨や紙幣がそれ自体「本物」の貨幣として流通している。
結局、貨幣が貨幣であるのは、それが充実した価値を持っているモノであるからではなく、
単に無限の「循環論法」の中で貨幣の位置を占めているからである。

 

第4章 恐慌論

恐慌・・・ある日突然商品世界全体が需要不足に陥り、全ての売り手が同時に売ることの困難に直面してしまう状況。

全体的な需要不足の状態が一定期間引き続くと、「不況」と呼ばれることになる。

貨幣を流動性という性質をもつ一つの商品のように保有するという行為がセーの法則を破綻させ、貨幣が「ある」世界に固有の不安定性を生み出している。
それは、一つの需要が下がれば全体的な需要も下がってしまい、結果的に価値が下がり続け0になってしまうというもの。
だが、現実にはそうなっていない。
それは労働者たちが貨幣賃金の低下に抵抗するという下方への粘着性により、妨げているのだ。
つまり、資本主義が本来的に持つ自己破綻の傾向が、まさに資本主義化されていない「外部」の存在によって妨げられている。

 

第5章 危機論

貨幣が今まで貨幣として使われてきたという事実によって、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として進んでいくことが期待され、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として使われていくという期待によって、貨幣が実際に今ここで貨幣として使われている。
しかし、人々が貨幣から遁走していくハイパーインフレーションは、まさにこの貨幣の存立を巡る因果の連鎖の円環が自ら崩壊を遂げていく過程である。

貨幣共同体とは、利害の一致に基づいて合理的に形成される社会的関係としての利益社会である。

ハイパーインフレーションは貨幣を商品に交換する「買う」困難が生じる。

商品を売らずに持ち続ける「異邦人」が期待を裏切り、貨幣価値への信頼を全面的に揺るがし商品世界は崩壊してしまう。

よって、人々が貨幣に興味を示さなくなることこそ、資本主義社会の真の危機である。

 

以上が、章ごとの要約です。

いかがでしょうか。

今一度本書をきっかけに「お金」に関して学んでみるのも良いかと思います。